錦三丁目第一町会
神田錦町三丁目第一町会のオールウェイズ
当町会は、昭和38年に錦町三丁目4の部の町会員が、錦町三丁目第一町会として独立したのが始まりです。
当時は、高度経済成長の始まったばかりの東京で、世帯数70世帯、法人企業30社を有する大規模な町会でした。
町会単独で神田祭りやレクリエーションが出来、町会内には四区五番組の増岡の頭も住人で、まさしく神田の下町の「三丁目のAlways」を具現化したような街でした。
神田小川町と神田錦町の間を通る五十通りには、毎月、5と10の付く日は必ず縁日が出る程の賑わいがありました。
その後、日本経済の成長と共に土地の価格が右肩上がりに上昇していくにつれて、多くの町会員がこの土地を離れ、長屋はマンションへ、仕舞屋(しもたや)はビルへ変化し、街の風景は大きく変わっていきました。
当町会の創立以来、現在でも変わらず、この土地で商売をされているのは、下記の5町会員のみです。
(1)「神田錦町更科」
(2)「田中商店」
(3)「イトウコーヒー」
(4)「竹尾洋紙店[現在の"(株)竹尾"]」
(5)「美濃窯業製陶(株)[現在の"美濃窯業(株)"]」
現在は、町会内にマンションが5棟建ち、150世帯の新しい住民の方が住む街になりました。
新しい住民と旧住民とが手を取り合い、神田祭りや五十通りアート縁日、新年会、夜警を皆で協力し、新しい神田の姿を創り上げているところです。
お陰さまで五十通りアート縁日で行う「流しそうめん」は、今や神田の名物となりつつあります。
街の風景が変わろうとも、神田が持ち続けたポテンシャルを次の世代に語り継ごうと町会員全員で試行錯誤しながら努力しております。
過去の歴史をこの「大好き神田」のホームページで書くより、私たちは未来を見ています。新しい町会の在り方のフラッグシップとなるように頑張りますので、是非ともお力添えをよろしくお願い致します。
町会長 神田錦町更科 堀井 市朗